窮屈で息苦しい時代だなと思います。COVID-19とか関係なくです。
沢山の曲を作ってきました。ロックを宅録で長年やってきました。
休学している時も、人と徹底的に関わらずにいようとした時も、失業した時も、誰かにとって意味のある曲を書いているということだけを信じて。
Bandcampなどで配信していると、ニューヨークのラジオで流してもらえたり、ロシアの漫画家がカヴァーアートを描いてくれたりと、評価してくれる人は評価してくれました。
「その曲、バンドで聴きたいなあ。」…時にはそんな声もありました。
さて、今時、インドアな人間だからこそ思う。
「これで良いのか?」
今や誰もがwebで配信して、DTMでも質の高い音楽を発表する人が沢山いて、CGやVRだって先進的で、遂に時代はステイホームで。
でも、やっぱりロックは生身のLIVEじゃなきゃダメだ。ステージに立って生身で歌わなきゃダメだ。体を動かして鳴らすのがロックだと思う。例えどんなにダウナーで気怠いサウンドでも。クールな振る舞い音楽性でも。
高級な機材で完璧に楽譜を再現するとかじゃなくて、急に飛び跳ねたり、奇声あげたり、歌詞を忘れてアドリブで歌ったり、ギタリストがドラムに飛び込んだり、その時その時しか鳴らせないフィードバックノイズが轟いていたり…そういうものを聴きたかったんじゃなかったか。
そら他人は怖いけど、誰かに近寄ることも近寄られることもない不安のない世界で心動かさずにいて、生きてる実感とかなくさずにいる自信あるのか?
皆は何処へ向かっているのかな。見かけだけは棘を削ぎ取った微温的な優しさは幾らでも巷に溢れていて、それで他人との間に何の齟齬も葛藤も衝突もない気楽な時間をとりあえずは適当に過ごすことは可能なのかもだけれど。そして俺もそれに甘んじそうになるけれど…
それで良いのか?本当にか?少なくともロックがそこに安住して良いのか?何を考えるにもロックを聴きながらだった人間が。
この、2020年に書いた"ヴァルフント"という曲は、描くべきことを全て描けたと思います。
近年出たスピッツ『見っけ』やTHE BACK HORN『カルペ・ディエム』を聴き、今の世の中の他罰的で窮屈な感じとか、お行儀良い無菌室のような世の中への違和感や反発心が全開で感銘を受けました。
自分も自分流でそういう歌を作ろう。そんな気持ちでいたらこういう歌が出来ました。パンクサウンドではないけど、アティテュードはパンクだと思う。
「スウェーディッシュ・ヴァルフント」という日本にはあまりいない犬種がいて、そのチビ狼の野性のイメージに思いを託しました。
この"アマゾネス・フリーク"という曲は、実は作曲自体は2013年の時点で出来ていて、当時から一部で絶賛されて、自分でも化け物を産んだと思ってたけど、出来に納得していなかったものでした。(このヴァージョンは2017年にスタジオでミックスしてもらったもの。)
アジカン後藤の主宰するサイトなんかで音楽ライターをやっていた青野圭祐っていう後輩がいて、彼は2019年末に突然死んじゃったのだけど、この曲のオルガン等ソフトシンセの音は彼と二人で作業しました。
でも、「この曲は生ドラムの前でギターを掻きむしりながらじゃなきゃ!」という思いがずっとあります。
(あ、『Mortal Psychle』のカヴァーアートを描いてくれたNUさんはSEマンガ大賞受賞おめでとうなのでした。あなたの怒涛の如き線で描かれる物憂げで可愛らしくも色気ある絵は世界中に受け容れられる気がするよ、俺は。)
"ヴァルフント"と一緒に両A面にしたのが、"ゲシュタルト・グンタイアリ"って曲です。
エロ・グロ・ヴァイオレンスな世界を舞台に、ばりくそ破壊的でダークなサウンドのオルタナを作ろうと思いました。「サイケ」としてのトリップ感と「グランジ/オルタナ」のヘヴィネスを共存させることに成功したと思います。
基本的に自分の曲は、遅くてダルいのが多いんだけど、この時はオーディエンスが爆音で狂ったように暴れたくなるような音楽が良いなと思って録音しました。LIVEで鳴らしたら絶対に気持ちいい。
ドラムのことは全然解らないんだけど、この曲はグランジ感を出すためにめっちゃ打ち込みにこだわりました。こういう風にドカドカとフロアタムをぶん殴れる人、求む。
最近メジャーコードの曲を作りたくて、高音も歌えるようになってきたので、持ち前のポップなメロディセンスを最大限に生かしてみようと思ったのが最新シングルの"うずらのサバト"でした。
音源の完成度には納得してないところがあるけれど、ロシア在住のRie Yuさんが描いてくれたイラストは超お気に入りです。
"青い蛾"や"Sayo Song"は、サイケ全開の曲です。
基本的にはロックに限らずサイケデリックな音楽が好きで、テキサスでサイケデリック・ロックのフェス(LEVITATION)を観たことも過去にあります。
前者のようベースがループするトリップ感はとても陶酔的だと思います。